2010年5月7日金曜日

私の履歴書

営業の外回り中。

最近、就活中であろう女性や男性を見かける。

熱心に本を読んでたり、辛そうな感情が表情に滲み出てる人など様々。

2年前に私は就活していた。

大学3年の2008年3月某プラント系企業に内定。

3月内定は早いほうだが理系、外資系、プラント系は普通の時期。

世の中は売り手市場やら言われてた時だった。

色々と大手メーカーを中心に約10社に挑戦したけどダメだった。

全ての会社の最終面接で成績表見せると苦悶の表情を見せる。

自分でもそのアクションが自然だろうなと苦笑いしてた。

ある企業では卒業するから信じてくださいみたいなこと言った気がする。

今の就職先は成績表はスルーだった。

ここに至るまで色々あった。

正直、生まれてこのかたまともな勉強をしてない。

中学時代の成績はクラスで最後から数えたほうが早い。

何度か勉強しようと思ったりして、塾行ったりしたけど何も変化なし。

偏差値は低いが私立の塾みたいな高校に入学。

授業時間が長くて、しんどい思いをさせられたが放課後は勉強せず友達とカラオケ行ったり遊び三昧。

結局、高校3年まで成績は中の下ぐらいで低迷していた。

この成績でまともに大学受験したら人生終わりだと気づく。

逆転の手段を考えた結果がAO入試という安易な考え。

小論文が必須なので、片っ端から参考書を見てみるが自分に合わず。

一番見やすい薄い参考書を片手に大手予備校の小論文講座に忍び込んだりした。

あとは試験当日に発表される課題にヤマを張る作業しかしなかった。

第一志望は関西では有名な私立。

第二志望は関西ではまあまあ有名な私立。

第一志望は4段階あって奇跡的に最終試験まで通過したが最後で不合格。

最終試験で落ちたのは私一人。

第二志望は第一志望で最終試験まで通過した自信とヤマが当たり合格。

結果的には私の偏差値に20点ぐらい足さないといけない大学に入ってた。

もちろん大学の成績は卒業証書をもらうまで本気でドキドキの内容だった。

公認サークルの幹部、非公認の飲み会サークル幹事みたいなもの、文化祭実行委員やら色々やってみた。

貧乏学生でバイトも時給が高いものを求めて5つぐらい変えてやった。

けど就活のエントリーシートに何でやったか何を得たかとかの内容はほとんど書かなかった。

ほとんど箇条書きみたいな形で内容は書かずに内容は面接でのお楽しみみたいな文章。

今で言うと「続きはTwitter」みたいに挑戦的だった。

偶然にも斬新であったのか面接官から好評。

志望企業の選定作業に入る。

営業が出世できると聞いて営業志望は決まった。

父親・母親が金融関係なので金融業界は敬遠。

泥臭い営業に興味があったというか、それぐらいしかできないだろという考えからメーカーを志望。

貧乏学生の名残りからか、給料はウソをつかないという思想があった。

なので給料ランキングでベスト10以外は受けないという幼稚な発想に至る。

さらに製造業でシェアNo.1を持ってる会社という縛りをつける。

そしたら10社ぐらいしか残らなかった。

そして今に至る。

これからの人生のほうが長いんだよなと思う今日この頃。

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